おてがみぼっくす

モラトリアムの終結

過去記事③

自殺直前の行動と心理状態-自殺者の視点から-

テーマ:ブログ

 

こんばんは、自殺先輩です。

のこされた人が
「あいつは最後に会った時には元気そうだった、自殺するようには見えなかった」
と書き込んでいるのをよく見かけます。

自殺先輩、もし自殺を完遂していたら同じようなことを家族に言われていたに違いありません。
何故なら私は自殺予定日の数日間敢えて元気に振る舞っていたからです。
本記事では、何故自殺のサインに気づくことができないのかを自殺した側の立場からお話しします。
あくまでも個人の経験によるものなので、参考程度にしてください。

最初の投稿記事に経緯を書いたように私は昨年2015年の11月に自殺企図しました。
1万円を超えるグッズを購入し、1か月後に自殺する予定でした…が環境が整わずに断念しました。
しかし、自殺を諦めるまでの1週間は本当に死ぬつもりでした。

では、その間の行動と心理状態はどのようなものだったのか。

私は友達や兄弟との連絡を控えました。
自殺した後に「あの時気付いておけばあいつは死ななかったかも」と後悔してほしくないからです。
もし私が生きたいと思っていれば「助けてほしい」「相談に乗ってほしい」と連絡していたことでしょう。

近くに住んでいる家族には休みの日に頻繁に会いに行きました。
自殺したら親孝行できないどころか親不孝者になってしまうので、生きている内に感謝は伝えたかったのです。
これから自殺することを悟られないようにするために行動は限られましたが、手料理を振る舞ったりお菓子を作ったり、できることは面倒がらずにすべて実行しました。

友人の中に、1人だけこちらから連絡をとった人がいました。半年間に渡って喧嘩をしていた友人です。
私が死んだ後に「原因は自分ではないか」と思ってほしくはないので、正月にでも遊ぼうと約束して仲直りしました。

ちなみに私が自殺企図した原因は大雑把に言うと病気です。
更に詳しく言えば勉強疲れで人格が2つに分かれて、その解離した人格が鬱病を患っていて、私が物理的に殺されそうになっていた、というカオスな話です。
それで、解離した人格に殺されるくらいなら自分で死期を選ぼうと思ったわけです。今は治ったので問題ありません。

話題をもとに戻します。

私は、自分が自殺した後は苦しみから解放されるだろうと確信していました。
そして、代わりに苦しむのは残された人達であろうということも知っていました。
私は生きているうちに、遺族になる人達の負担や苦しみが少しでも軽減されるように、それだけを考えて努力していました。

私が死んだあとは「あいつは最後に会った時には元気そうだった、自殺するようには見えなかった」
と思ってほしかったのです。
現在、私の自殺企図を知っているのは、発達障害でお世話になっていた担当医と1人の友人、このブログの読者だけです。
この自殺企図は成功に終わったというわけですね。自殺先輩は生存してしまってますが。

自殺した1人1人の気持ちは分からないので、私が解説することはできません。
しかし、自殺すると悟られないように最期の試行錯誤をして逝った人も中にはいると思うのです。

自殺を決めた時の覚悟は並大抵のものではありません。
死ぬと決めた上で、大切な人達に向けて実行する最期の努力。
気力を振り絞って、その1点のみに全力を注いで、それこそ死ぬ気でいるのです。
生きている人達が気付けるわけがないのです。

自殺する人は、その行為によって大切な人を苦しめることを知っています。
「あの時気付いておけばよかった」と後悔させることも知っているのです。
結局は、最後に大切な人達の幸せな思い出を詰め込んで逝きたかっただけなのかもしれません。
それだけ周りの人達が大好きだったということなのかも。
自殺した人は幸せに逝ったのかもしれません。

生存している人達の解釈は様々あると思いますが、自殺先輩が自殺者側の立場で語るならこんな感じです。

 

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昔はよく自殺について語っていました。