おてがみぼっくす

モラトリアムの終結

師匠について②

前記事のつづき

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その後、私は自分を変えようとしました。
今までとは違う行動を取ることにしてみたのです。

幼少期から私は過剰に空気を読み続けていました。
「本音」というものを人に打ち明けたことはありませんでした。
常にキャラを作り、意見を作り、人に合わせ、それを無意識にやっていたのです。
呼吸をするかのように自然に、自分がそれをやっているとも気づかずに。

私は、「私」として存在することができませんでした。
文章の中で自由に生きられればそれで良いのだと思っていたのかもしれません。
過剰適応しようとするのは発達障害の特性であると後から知ることになるのですが、当時は自分が過剰適応しているということも認知できませんでした。
あまりにも「自分」がなかったために、当時の自己認識がどうであったのかすら曖昧です。

だから、自分のどこを変えようとしたのか具体的にはわかりません。
実際に行動したことは、仕事を辞めることと親と和解することでした。

編集職に携わっていた当時、商業用の文章を作り、ソレが評価されることに絶望を感じていました。
文章の中で生きる自由な自分を殺しているようで、現実の私も窒息しそうになっていました。
「死にたい」自分を変えるためには自分を殺さないことが必要でした。
そして私は商業用の文章をやめました。

同時期、親と話をしました。
今まで言ったこともないようなことを言いました。
本音の伝え方が分からず、「これまでのことは虐待だ」と騒ぎました。
本音もどきの爆発は1ヶ月以上続きました。
親は私の不適切な感情表出に長々と付き合ってくれました。

明記しますが、虐待をされたことなど一度もありません。
私が知っているどんな親よりも素晴らしい親なのです。

無意識下で不満を募らせていた私の怒りの最上級表現法が「虐待」という言葉だっただけです。

親とは私が冷静に話し合いができるようになった頃に和解しました。
相互理解した、といった方が適切かもしれません。


この2つの出来事が、自分を変える試み第1回の結果でした。